拙者放浪記 旅先で思うこと
〜〜〜拙者放浪記 旅先で思うこと
熊谷市街を抜けてからはしばらく順調でした。
ただぼけーーーっと流れゆく風景を眺めて、気持ち良くシャーーっと回転するペダルを踏んで、踏んで。
もう具体的には覚えていませんが、平和な旅先でした。
まだ太陽は浅く、だいたい10時ごろだったかと思います。
不思議なんですよ、時間の感覚が。
時間の感覚がおそろしく緩慢でした。
もう半日ぐらい走ったんじゃないか?
そう思って旅先のコンビニで水分補給がてらに時計を眺めても、たった2時間程度の時間しか流れていなかったり。
あの時間の緩慢さは実に面白いです。
なんていうんでしょう。
旅先を急ぐその時の自分にとっては、ある種達成感や棚から牡丹餅的な感覚。
ラッキーって言葉が普及したから、棚から牡丹餅はあんまり使われなくなったんでしょうねぇ。
・・・と、余計な話はさておき。
面白い感覚でした。
本当に時間の流れが遅くて、けど自転車の車輪は回って、まるで魔法みたいに次の町に自分がいる。
色んな町を通り過ぎて、色んな風景が自分を迎える。
それは退屈で、けれど地味に面白い。
風流な風景。
怪しげな看板。
同じく像や人形。
放浪だからこそ、その風流な風景は輝いて見えました。
それは単に真新しいというだけではなくて、自分とその風景には、今その一瞬しか接点が無い。
それが単純に寂しく、残念で、だからこそ愛おしさのようなものを感じさせてくれる。
必要以上にその風景を味わおうとは思いませんでした。
また数時間自転車のペダルを踏めば、次の新しい好きな風景が現れる。
それまで、地味に面白い風景が自分を楽しませてくれる。
だからそれは何でもない。
キレイな風景だけれど、けれどそれだけ。
どこにでもあるもの。
ありのままのその美しさ、面白さを感じて次の風景へと旅立つ。
私は何の先入観も思い入れもないその場所を、ただ何でもなく眺めていました。
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